しばしばある質問として「水田は人工環境なのだからそこにいる生物を保全する意味はないのでは?」というものがあります。水田の生き物と言えば、トノサマガエル、ドジョウ、ミナミメダカ、ゲンゴロウ、タガメ、マルタニシなどが思い浮かびます。水田ができる前はこれらの生き物はこの世に存在しなかったのでしょうか?そんなことはないですね。
例えばドジョウは日本列島と中国大陸に近縁種が分布しますが、これらはそれぞれ40万年とかそれ以上前に分岐したと考えられます。つまり人が日本列島にすみつき、水田をつくるはるか以前からドジョウはいたということになります。水田ができる前に水田に暮らす生き物がいた環境とはつまり、平地の河川の氾濫原湿地です。こうした氾濫原湿地は水田に改変されていきましたが、偶然にも自然の水位変動・定期攪乱のシステムと似ていたので、氾濫原湿地のような環境として機能し、これらの生き物が水田で生き続けることができたのです。
人の手によらない自然環境を「原生的自然」、人の手による自然環境を「二次的自然」として一般的に定義されますが、この2つの自然は生物多様性保全にとっていずれも重要です。日本列島における二次的自然の多くは、原生的自然として河川氾濫原湿地が有していた、常に攪乱される自然環境です。したがって繰り返しとなりますが、原生的な氾濫原湿地は人の手で失われましたものの、人の手によりつくられた二次的自然環境である水田が比較的似たシステムの環境として機能して、豊かな生物多様性を維持することに貢献してきたわけです。ところが近年では水田域の近代化や、水田域そのものの消滅により、二次的自然としての機能が失われました。氾濫原湿地を失い、二次的自然としての水田が失われれば、当然そこに暮らす生き物は減ります。トノサマガエル、ドジョウ、ミナミメダカ、ゲンゴロウ、タガメ、マルタニシなどのよく知られた生物が、現在、各地で絶滅危惧種となっているのは、これが原因なのです。
ということで原生的自然である氾濫原湿地が、二次的自然である水田に改変され、そうした水田も開発により失われている、というイメージがつかみやすいと思われる航空写真を、以下にGoogleマップのリンクで示します。1つめはロシアのアムール川流域に残る原生的な氾濫原湿地、2つ目は青森県岩木川流域の氾濫原湿地の痕跡がみえる豊かな水田地帯、3つ目はかつて水田地帯でしたが開発で失われた福岡市那珂川・御笠川流域です。
(1)原生的自然の氾濫原湿地(ロシア・アムール川流域)
川の周囲に浅い湿地帯が広がり大小さまざまな小河川、水路、池沼が無数に存在しています。こうした湿地帯が水田でみられる湿地帯生物の本来の生息環境です。
(2)二次的自然の水田地帯(青森県・岩木川流域)
川の周囲に水田地帯が広がり、自然の小流路や池沼の痕跡がみられます。自然の湿地帯になんとなく似た風景です。
(3)水田地帯が消滅した状態(福岡県・那珂川・御笠川流域)
川の周辺は1920年代の地図では広大な水田地帯でしたが、現在では都市化が進み水田はほぼ消滅。かつての池沼も多くは埋め立てられました。
以上の写真をみると、二次的自然としての水田地帯に豊かな生物多様性がある理由がわかりますし、現在そうした生き物が減ってしまった理由もわかるのではないでしょうか。かつての関東平野、濃尾平野、大阪平野、福岡平野などは規模の大小はあれども、いずれも(1)ロシアのアムール川流域のような、河川が縦横無尽に走り、大小さまざまな水路と池沼からなる、大湿地帯だった、というわけなのです。そうすると失ってきたものの大きさもわかりますし、生物多様性が損なわれて困っているといった事態において、どのような対策をとるべきかも見えてくるだろうと思います。

かつて西日本の水田地帯では普通にみられたというトノサマガエル。私が主に調査をしている福岡県では絶滅危惧IB類に選定され、平地からはほぼ絶滅してしまいました。

かつて全国の水田地帯で普通にみられたというタガメ。私が主に調査をしている福岡県では絶滅危惧IA類に選定され、現在のところ確実な生息地はみつかっておらず、すでに絶滅した可能性があります。