オイカワ丸の湿地帯中毒

湿地帯中毒患者 オイカワ丸の日記です。

水生のゴキブリ

サツマゴキブリという昆虫をご存じでしょうか。

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国内では関東地方以西の本州、四国、九州、南西諸島などから記録されていますが、主な分布域は九州南部以南というゴキブリの一種です。特に南西諸島では普通にみられます。成虫にも翅はなく、前胸側部には黄色い縁取り模様があり、かわいらしい種です(写真は徳之島でみかけた個体)。ゴキブリというと身近な害虫No.1で許せないという意見が殺到すること間違いなしですが、本種は主に野外性で、大した害はありません。嫌わないでください。

このサツマゴキブリについて、私は、幼少時から並々ならぬ関心を持っていました。それはなぜかというと、幼少時から愛読していた「小学館の学習百科図鑑 昆虫の図鑑」に、「幼虫は水生」との一文があったからです。

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1980年出版の私の愛読書↑

ご存じの通り、私にとって生物は水生か否か、というのが非常に大きな境界線であり、水生のゴキブリがいる!ということを知った興奮は尋常なものではなく、いつか見てみたいとずっと願ってきた昆虫の一つになったのでありました。その後色々な図鑑を読み、国内にはマダラゴキブリという、これまた幼虫が水生という種がいるということを知り、もちろんそれも出会いたい昆虫の一つとなりましたが、やはりサツマゴキブリは特別な存在のままでした。

それから10数年。念願かなって、大学生の時に与那国島ではじめてサツマゴキブリの成虫を見つけた時、思わず捕獲してしまったのはやむを得ないことであります。その個体は福岡に大事に持ち帰り、自宅で飼育をしたのでした。プラケースにはミズゴケをいれて、厚紙で隠れ場所をつくりました。しばらくするとその個体は子供を産みました(この仲間は体内で卵を保持し孵化した仔虫を産みます)。サツマゴキブリの幼虫が得られたわけです。当然のごとく、私は、幼少時から思い描いていた実験を開始しました。そうです、「幼虫は水生」、その一文を確認するときが来ました。ミズゴケに掴まっている幼虫を水をいれたプラケースに沈めると、幼虫は何の抵抗もなく沈み、水中をすたすたと歩いたのでした。その時の興奮と感動は筆舌に尽くし難いものでした。

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さて、例えば北隆館の原色昆虫大圖鑑第3巻(1965年)には「幼虫は水辺をよく好みよく水中に入る」の一文があります。

 

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さらに聖典として名高い学研プラスの日本産直翅類標準図鑑(2016年)には「わき水の水たまり、側溝などに数頭でひそんでいる」の一文があります。

 

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またゴキブリ類の専門家として名高い朝比奈正二郎博士もサツマゴキブリについて「幼虫は水辺を好みときに水中に入る」と記しています(朝比奈,1991)。

これらの図鑑類の記載、そして自らの実験結果に基づいて、私は長らくサツマゴキブリの幼虫は水生であると信じていました。

 

ところがです・・・

数日前にルリゴキブリ類の新種が記載されたというニュースが出たのを見かけた方は少なくないと思います(例えば→リンク)。法政大学のプレスリリース→リンク

非常に素晴らしい研究成果で、ツイッター等ではちょっとしたゴキブリ祭りが開催されていました。私もその波に乗り、水生のゴキブリ、すなわち上記の記述や自らの経験に基づいてサツマゴキブリの幼虫が水生ということを話題にしたのでした。ところがそれに対して「サツマゴキブリの幼虫は水生ではないと思う」「見たことがない」という意見が多くみられたのでした。私は混乱しました。図鑑にも書いているし、水中を歩いたし、何かの間違いではないのか。

そんな折SeaMoon氏から重要な文献があることを教えてもらいました。それは青柳(2017)です。これは沖縄島周辺からマダラゴキブリの分布を報告した報文ですが、この中でマダラゴキブリとサツマゴキブリの幼虫はよく似ていること、そしてマダラゴキブリの幼虫は明らかに好水性であるけれども、サツマゴキブリについては「水辺でサツマゴキブリを見たことはなく、幼虫が好水性であるという記述には疑念を禁じ得ない」との一文があったのです!

私は混乱しました。そこで水生昆虫に詳しい神々にこの件を尋ねました。するとMINOSHIMA博士からある文献をご教示いただきました。それが高橋(1937)です。この論文はすごいものでした。サツマゴキブリの生態・生活史を詳細に観察・記録するとともに、半水生ゴキブリについて論じたものでした。そこにはものすごく重要なことが書いてありました。つまりサツマゴキブリは「(野外において)普通水中に入ることはない」「(飼育下において)自ら水中に入ることはない」そして「(サツマゴキブリが)半水棲とされたのは、他の種と混同されたに因ることは疑いない」との一文まであったのです!なんと!幾多の図鑑類で書かれていた「サツマゴキブリの幼虫は水生」という記述は1937年の時点で誤りであると指摘されていたのでした。

しかしここで重要なことを思い出しました。そう、大学生時代に私がした「実験」です。幼虫は確かに違和感なく水中を歩いていたはずです。夢だったのか・・そう思って再度、高橋(1937)を読むとこの点についても実は書いてありました。すなわち「(サツマゴキブリは)全く陸棲であるが、之を捕らえて水中に入れる時は次の如き動作を示す。木片、枯葉等に静止中の若虫を、その木片、枯葉と共に水中に投入する時は、若虫は、そのまま平然と水中に静止して居る」「水中に放たれたる時は、體の全部は水面下に入り、水面の直下を全肢を互に動かして泳ぐ」とあるのです。私の観察の通りです。ところがそれに続いて「水中には短時間生存し得るのみで、容易に溺死する」と・・・。そうです、私の実験はその前半はこの通りでした。でもその後までは観察していませんでした。水中を歩いた時点で満足して観察を打ち切りました。すぐに陸に上がったのでしょう。ここが大事だったのです。

高橋(1937)には「サツマゴキブリは陸棲であって、自ら水中に入ることはないが、之を水中に入れた時の動作は全く他の半水棲の種類と同様であって、本種の若虫は半水棲生活をなし得る可能性を持って居るものと見なければならない」ともあります。ただしここまで知れば明らかです。サツマゴキブリの幼虫は水生、というのは明らかに誤りです。図鑑類も古い記述をそのまま孫引きしていただけ、あるいはマダラゴキブリ幼虫の観察を誤記録していただけ、と考えることが普通です。

以上、私の中では結論は出ました。幼少時から40年弱、サツマゴキブリ幼虫は水生と信じていましたが、これは誤りでした。幼虫が水生なのはマダラゴキブリ類です。図鑑にしばしば書かれている「サツマゴキブリの幼虫は水生」という記述は、マダラゴキブリ類幼虫との取り違えである、という結論に達しました。大変重要な学びを得ました。1937年にすでに、完璧に、指摘されていたのです。丁寧な観察に基づく自然史の記載研究の価値は決して失われません。

ということで今後見かけたら捕まえて飼育し、再度確認してみたいと思います。それからマダラゴキブリ類の幼虫が水生であることは、これは間違いがありません。私も大隅半島や南西諸島の渓流でしばしば見かけています。完全に水中にいます。この種についてもきちんと飼育してみたくなってきました。渓流を模したアクアテラリウムでヤエヤママダラゴキブリ(実は日本最大のゴキブリです)を飼育したら素敵かもしれません。こうして湿地帯の泥沼に、私はまた、ずぶずぶと沈んでいくのでした。

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12月1日追記:上で話題にした新種ルリゴキブリ類の記載者であり、ゴキブリ飼育のプロであるShizumaさんからご教示いただいたのですが、マダラゴキブリはむしろ水をいれないで飼う方がうまく飼えるのだそうです。また、同じく飼育経験がある凄腕愛好家こぺんたさんによれば、水を入れて飼うのはものすごく難しいのだそうです。マダラゴキブリの幼虫が野外で水中から見つかることはこれは明らかで、いくつもの図鑑や文献にも書いてありますし、これについては私も経験があるわけですから、幼虫が好水性であることは間違いのないところです。それにもかかわらず飼育下では水をいれるとうまく飼えない、水をいれないほうがうまく飼えるという現象は非常に興味深いです。水生ゴキブリにはまだまだ秘密があるようです。誰か解明してください。

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参考文献

朝比奈正二郎(1991)日本産ゴキブリ類.中山書店.

朝比奈正二郎・石原 保・安松京三(1965)原色昆虫大圖鑑 第3巻.北隆館.

青柳 克(2017)沖縄諸島3島からマダラゴキブリ初記録、ならびに幼虫におけるサツマゴキブリとの識別点.月刊むし,553:42-43.

日本直翅類学会(編)(2016)日本産直翅類標準図鑑.学研プラス.

小学館(1980)小学館の学習百科図鑑 昆虫の図鑑.小学館

高橋良一(1937)サツマゴキブリの生活史、及び臺灣産半水棲ゴキブリ類の種名.むし,10:31-41.

 

最後になりますが、こんな疑問にお付き合いいただき、種々文献等ご教示いただいた皆様、本当にありがとうございました。