オイカワ丸の湿地帯中毒

湿地帯中毒患者 オイカワ丸の日記です。

論文

井口恵一朗・村瀬偉紀・小川宏和(2025)平安時代宇治川網代で生業として漁獲された氷魚の実相推定.野生生物と社会,13:27-32.

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平安時代宇治川網代で漁獲されていた「氷魚」の正体を考察した論文。琵琶湖から大量に流下していたアユ仔魚だったのではとのことで、面白いです。アユ生活史研究の第一人者である井口先生によるものなので、生物学的データの裏付けも豊富です。今からは想像できないレベルで湿地帯生物が琵琶湖にあふれていた時代。まさに琵琶湖からあふれ流れ出ていた大量のアユの氷魚を、宇治川で網を構えて捕獲していたのでしょう。

 

ちょうどポン氏様が勉強のために壁に百人一首を貼っているのですが、まさにこの歌もその一つですね。淡水魚オタクであった中学生時代の私は、ここに出てくるこの網代で何を獲っていたのだろうと気になっていたのを思い出しました。当時は有名だったのですね。藤原定頼の詠んだこの風景を、またその味を体験してみたかったです。もう失われてしまった生物多様性と文化ということになります。

 

それともう一つ気になるのが、その平安時代網代にドジョウが混獲されていたのかというところ。ご存知の通り、琵琶湖にはビワコガタスジシマドジョウが分布し、その下流宇治川~淀川には別亜種のヨドコガタスジシマドジョウが分布します。同一水系内の亜種というのは通常あまり考えられません。生活史や遺伝的特徴を詳しく調べる前にヨドコガタスジシマドジョウは絶滅してしまいました。しかし形態や模様ではこの2集団には違いがあり、先行研究も参考にして私は別タクソン(別亜種)として記載しました。この微妙な2亜種の違いは、地形的な生殖隔離を反映したものだったのではないかと考えています。つまり遊泳能力が低いヨドコガタスジシマドジョウは急流の宇治川峡谷を突破して上流に移動することができず、また一方で岸際のごく浅い湿地環境を好むビワコガタスジシマドジョウは流下することがほとんどなかったのではないかと、思うのです。

この「網代」でコガタスジシマドジョウがほとんど獲れることがなかったとしたら、この仮説はひとつ裏付けられるでしょう。しかしすでに琵琶湖と宇治川の間には瀬田川洗堰と天ヶ瀬ダムがあり、ビワコガタスジシマドジョウは絶滅寸前でヨドコガタスジシマドジョウは絶滅した可能性が高い、という状況なので、二度と本来の状況を検証することはできません。平安時代宇治川網代に、ぜひとも行ってみたいものです。

 

こちらがヨドコガタスジシマドジョウです(淀川産)。1996年を最後に採集例はありません。